没後50年、今もなお世界中から愛され続ける永遠のスター、マリリン・モンロー。プラチナブロンドに真っ赤な唇とセクシーなホクロ、そして“モンロー・ウォーク”と呼ばれた歩き方で世界中を魅了した。辛い少女時代を過ごすが、グラビアガールからハリウッドスターへの階段をかけ上り、やがて“アメリカの恋人”と称されるまでに。しかし彼女は、3度の結婚を含む波乱の人生を送り、悲しい最期を迎える。
1926年(0歳) 誕生 |
6月1日、カリフォルニア州ロサンゼルス生まれ。本名はノーマ・ジーン・ベイカー。 |
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1942年(16歳) 最初の結婚 |
整備工ジム・ドアティと結婚。ジムはまもなく海軍に徴兵され、マリリンは航空機部品工場に就職する。 |
1946年(20歳) 女優マリリン・ モンロー誕生 |
20世紀フォックスのスクリーン・テストに合格。芸名を「マリリン・モンロー」に。ジムとは離婚。 |
1953年(27歳) 映画初主演 |
『ナイアガラ』で初主演。 ここで腰を大きく振って歩くモンロー・ウォークを披露した。 |
1954年(28歳) 2度目の結婚 |
相手は元ニューヨークヤンキースの野球選手ジョー・ディマジオ。 |
1956年(30歳) 3度目の結婚 |
劇作家アーサー・ミラーと結婚し、ミラーはマリリンのために脚本を書くなど結婚生活は順風満帆と思われたが、マリリンの精神が次第に不安定に。 |
1960年(34歳) 女優賞受賞 |
『お熱いのがお好き』で主演、第17回ゴールデングローブ賞/最優秀コメディ女優賞を受賞。 |
1961年(35歳) | アーサー・ミラーと破局。 |
1962年(36歳) 孤独な死 |
8月5日、自宅ベッドで、全裸で受話器を握りしめたまま死んでいるマリリンが発見される。死因は睡眠薬の大量服用。自殺との報道が出たが、その後の調べで他殺という見解も出た。 |
2012年 没後50年 |
マリリンが亡くなって50年。たくさんの関連イベントが行われ、サルヴァトーレ・フェラガモ博物館ではマリリン・モンロー展を開催。彼女が愛用していた靴や服、台本や写真などの展示で注目を集めた。第65回カンヌ国際映画祭ではマリリン・モンローへのオマージュを捧げ、彼女を、同映画祭のアイコンとして公式ポスターに起用。またミルトン・H・グリーンの撮影による未公開写真25点が展示された。 |